楽しい保育も生きる道もcreateする ~作る・生み出す・引き起こす~

楽しい保育も生きる道もcreateする ~作る・生み出す・引き起こす~


人が楽しむ時には作ることが多く関わっていると思っています。モノをつくる。道をつくる。関係をつくるなど。
物を作る時にも、自分の歩く道を決める時にも人はこんな過程を辿っているのではないでしょうか?

  • 自分の頭と心の中にあるものを見る
  • それを現実にしようと決める
  • その時に出てくる〇〇だから無理というその理由を感じる
  • その理由は、本当ですか?それとも何かの怖さの裏返し?
  • その理由を越えてやりたいと感じられたら現実にしようともう一度決める
  • できた時をイメージしてみる
  • イメージを叶えるための一歩を決める
  • 歩き出す
 
createには「作る・生み出す・引き起こす」という意味があるそうです。
自分の中にあるものを見えるところに現すという意味での「生み出す」は、自分の頭と心の中にあるものに自覚的になっていくことから始まるように思います。自分が作りたいもの、やりたいこと、好きな色、大切にしていることなど、自分のことをご存じですか?聞かれると意外と答えられなかったりしますよね。
まずは、その自分の中にあるものを感じ、受け止め、知ってみる。でも、これが意外と時間がかかるものです。そうして出て来た自分の想いをもとに、それを叶えていくのが「作る」という行為なのだと思います。
 
人は「モノ」も「コト」も作りますが、作るのが「モノ」ではなく、自分の生き方や、進む道を決めるような「コト」を動かす時、「モノ」を作る時には妥協しない人がたくさんいるのに、「コト」を動かす時には、
・理想と現実は違う
・自分にはできない
・所詮こんなもんでしょう
のような気持ちが動いて、叶えることをあきらめてしまう人が多いように思います。
 
コトを進める時には「引き起こす」 createが必要なことが多いのです。
既存で並べられている情報だけでは、見えないこと(実情や、人の気持ちや、そこに係れていないいろいろなこと)がたくさんあります。
そこが明確に開かれた可能性ではない時も、その扉をたたいてみることで「引き起こされる」ことが必ずあります。もちろん望んだことばかりとは限りませんが、その扉をたたく挑戦を何度でも重ねていく中で、可能性が開いていったり、新たな道が見えたりするのだと思います。そして、可能性の開き方も自然に学んでいきます。
 
何かをやりたい時、〇〇だから無理だという心の声は常に出てくるものですが、やりたい気持ちを大切にしながら、その無理は本当に無理なのか、やれる方法があるのかもしれないという視点で考えてみると、方法が見つかったり、自分が何かに怖がって(それは、幸せになることだったりすることも!)できないと決めていたということもあります。実は、自分が自由になること、できると知ってしまうことなどを赦すことが、ハードルになっていることもあるのです。
ゆるすという言葉には許すと赦すという二つの漢字があります。
「許す(ゆるす)」・・・相手の願いや申し出を受け入れる・認める
「赦す(ゆるす)」・・・罪や過失を咎めないことにする
新しいことを作っていく保育者が「こんな未熟な私が、こんな大それたことをやってもいいのか?」と園の中でよく聞きます。
そういう気持ちと一緒にいながらも、できる自分、すごい自分になることを赦す、許可することで挑戦し次の道を開いて行きます。想いに忠実に行動し続けてみることも大きな createなのだと思います。
 
子どもと一緒に「モノ」を作る時、「コト」を作る時、子どもが心の中で見つけた好きなことや想いを現実に作りだすということを保育者が忘れずにいるとことで、形を完成させることに囚われることなく、子ども主体の活動になっていきます。
 
そして、子どもが扉を開くことを赦すためには、保育者自身が自分も createすることを赦していないと難しいものです。まずは、いろいろな createを自分に赦すことからスタートするのも素敵なことですね。