偏りを持っているということを愛する。

偏りを持っているということを愛する。


 
某お宝鑑定の番組を見ていると、鑑定士の先生が
釉薬の垂れたゆがんだお茶碗を見て
「この曲線、釉薬の垂れ具合がいい。いい景色ですねー」と言っている。

そのお茶碗の何十万もの価値は私にはわからないけれど
今、そこにあるお茶碗のその姿をまんま愛でて、ニコニコしていることがいいなあと思う。
 
人は、工業製品のようにはできていないから
それぞれ得意なことも苦手なこともある。
 
そんな生き物そのもののありようを変えようとするのではなく
「このお茶碗は、ちょっと怒りんぼなんですね。でもその傷がまたいい味なんですよ。」
とかなんとか、あるがままのそのお茶碗を感じ、
「このお茶碗なら、こんなお茶でこんなお茶菓子だと、最高に楽しめそうですね。」
なんて考えるのを楽しめる組織でありたいと思う。
 
その人のままで、どう成長し、どう生きていくのかを
伸ばしあえるような。
 
色とりどりで形もさまざまな保育者が
それぞれの特徴を活かして、どんな料理やどんなお茶や、どんなお花と出会うと
素敵になるのか。
そして、そこから生まれた素敵な体験を
それぞれの感性で子どもたちが受け取っていく。
 
一つ一つ形も違うし色も違うし
たくさん重ねたり、みんなに同じものを提供することよりも
そのままのその人の集まりであること。
そこから生まれる空気や物事を大切に受け取っていけるような
そんな保育、そんな組織、そんな社会にしたいと思う。